深く沈める。

覚書が事実となる現実に反抗してみるブログです。

2014年の雑記まとめ

断捨離と必要

 退去まで一年とちょっと。ものを捨てまくっている。人間は意外と少ないもので生きていける。私に必要なものは、本とCDと紅茶とパソコンだ。気づくのに6年もかかった。毎週100リットル近い無駄を排出しながら、私の家は少しずつ広くなっていく。学生時代に撮りためたネガも、もらった資料 も、特に思い入れのないものは全て捨てた。
 最近考えているのは、親との想い出を何にするかということ。実家にある食器や小道具の数々は私を安心させるものではあるけれど、失った時の喪失感が途方もないものがあり、それを想い出にすることは諦めた。
 形のあるものを全てを想い出にはできない。全てをおいておきたい気持ちはわかるがそれは不可能だ。
 考えた末、今、私の手元には、親からもらった手彫りの木の判子がひとつある。赤い革の袋に入っていて、ありとあらゆる朱肉になじむとてもいいものだ。名 字ではなく、名前で彫られていて、改姓をしても使えるようになっている、一生もの。生まれた時に作ってもらったものなので25年近くになるが、毀れること はなく、今も銀行印として現役バリバリだ。
 端から見ればただの判子だが、それに私は全ての想い出をしまうことにした。小さく細い赤い革を撫ぜる度に、溢れてくる想い出と共に生きていくのだ。30歳になっても40歳になっても50歳になっても。生きている限りずっと。
(2014.02.05 wed.)

 

閑話休題

(自分的に)ちょっといいはなし。 恋人様とヴァレンタイン。 白鷺の「くえろ・くえら」でご飯を食べようということになり、合流まで久々に「かえるちゃん」で一服。 「ソフトドリンク、結構あったよな~」と思いながら入るも、ドリンクメニューはアルコールばかり…。方向性変わったのかな。 投薬を再開したため、アルコールはだめなんだよなぁ…と思いつつ、 「すいません、薬の関係でアルコールが、ちょっと、」 「ああ~…メニューにはないんですが、ホットコーヒーとかも出せますよ?」 ということだったのでお願いする。 ベトナムコーヒーだったのか少し薄かったんですが、ザラメと共に飲んだコーヒーはおいしかったです。 マスターの心遣いにほっこりした一日でした。 くえろくえらは相変わらずおいしかったです。

(2014.2.15 Sat.)

 

投薬、或は逃避、もしくは抗議

 1月上旬からパニック障害(主に胸の圧迫感、頻脈、予期不安など)が再発したんですが、今まで飲んでいたソラナックスでは発作が治まらなくなってしまい、レキソタンを処方されました。気分は楽ですがふわふわしております。足元がおぼつかない黒い人がいたら私です。
 先日は数か月ぶりにすがすがしい目覚め。安定剤を飲んでいるというと引かれることも多いんですが、正直飲まずにうつうつと無駄な日々を過ごすくらいだったら飲んだほうがましだと思います。
 そんなにバカにするならこの発作も不眠症もくれてやる。好きで薬飲んでるんじゃねーんだ馬鹿野郎。
(2014.2.17 Mon.)

 

中二病の再発

 生来の空想癖で生きていけるような気がしてたのはとうの昔であって、ついにそのことに何百時間もかけた人はすでに何者かになっているのです。そういう一文をインターネットで見て、ああ、そうだよなぁ。と諦念した大学生の時。

 どうでもいいんですが、中学生~高校生までで書き溜めた中二病ちっくな詩をひとまとめにして自分で製本します。なんかそれっぽいイベントで売るので見かけそうな人はよろしくどうぞ。
(2014.2.18 Tue.)

 

人生のミルフィー

 薬が変わってから、知らない間に寝てしまったりしていたんですが、ようやくリズムが戻ってきました。日進月歩?食欲はものすごくあるので美味しいお店情報&ご飯のお供は常に募集中ですw

 カウンセリングの参考になればと、先々週あたりから日記らしきものを付けるようになりました。食べたもの、投薬記録、睡眠時間、ゴミを何袋出したか、気分はどうか、どこへ行ったか、とか。
 簡単なことだけど「生きてるな~」という実感が沸いてくる。
 日記をつけたり、記録を見返していったりしていると、人生はミルフィーユのようなものなのかな、とハタリと思う。
 塩と砂糖とを間違えちゃっても、バターとマーガリン間違えても、積み重ねて積み重ねて、最終的においしく頂いてしまえばいいんじゃないか。

 そんな最近の人生観です。
(2014.2.22 Sat.)

 

サンライズ

 薬が抜けきらず気分が悪くなって、横になったら知らない間に寝ていた。もう何度目だ。明け方なので起きていることにしよう。実は風呂も入れている。風呂に入って、ごはんもぐもぐ食べて、元気もりもりで出勤したるねん…!二度寝しなければな…!(笑)

 職場が春闘で健闘したらしく、来月から給料が上がる。1月の昇給と併せたら大したもの。引っ越しのめども大体ついた。家のめぼしもつけた。
 部屋の片づけをのろのろしていると、捨てるのにもお金がかかることに意外とびっくりする。タダでもらった棚を400円で捨てたり。9000円で買った棚 を9000円で捨てたり。親父の自作PC(10年くらい前の)を4000円で捨てたり…orz(これが一番の驚きだったw)
 いろんなものが安く売られるようになったけど、捨てるのにもお金がかかるし、それも考えて買わなきゃならんな!という小言。いいものを、長く使う、がよく染み渡る午前4時。
(2014.02.25 Tue.)

 

引っ越し

 希望していた団地で希望していた家賃の部屋で、退去予定が出たので仮押さえをした。公団では部屋止めは無料なので、こういう時迷わず予約できるので助かる。修繕の関係で内覧は4月下旬になるけれど、仕事のスケジュールなどを考えたら妥当な時期。
 しかし庭付というのがどうも気になる。園芸も趣味ではないし雑草の手入れもできるか危うい。
 利点といえば山ほど洗濯物が干せるし、お月見がやりやすくなるとかそんなところ。住んでいればよさもわかってくるのか。
 などと思いつつ、2階、3階で空きが出れば迷わず鞍替えする予定なんだけどね。
(2014.03.11 Tue.)

 

spring.

人事がアチャーなことになり一難去ってまた一難…。
卒業式にかこつけて飲んで騒いでストレス発散してきました。卒業生のみんなサーセン…。
酒に酔った日はペアリングの傷などを眺める。

もうすぐ桜が咲きますね。出会って6年目の、春です。

卒業生のみなさん、ほんとうにおめでとう。
社会人なんて格好いいことなんてなにもなくて、体裁だけ気にする上司や偉そうにしたい年長者にいらいらして。でも、そんで死んでいくなんて本当にくそったれだと思うので。趣味とか、自分の考えとかしっかり持って。
本当に仕事が楽しいなら楽しんで。苦しいなら無理せず逃げたらいい。

格好悪いことなんて、この世の中には一つもない。

おとなのいみをかんがえるならめのまえのてきをたたきつぶしたまえ
ていさいをきにしてきかいをのがすのならプライドをすてろ
せかいのはじまりをみたいならみちなきみちをすすめ

自分の人生なんだから。人生を楽しんで死んだならそれがゴールだ。
(2014.3.25 Tue.)

 

television, new year, working!

 SHERLOCKを淡々と見る週末。シリーズ1再放送真っ最中だけど待ちきれなくて3話借りてくるこの感じ…!

 新年度はじまって、2週間くらい仕事してやっぱりなんにもわかってなくて。自己嫌悪してたり、引き継ぎをろくにせず、さらに負の遺産を残した前任者にいらいらしていたら多分3年間分くらい寿命が縮んだ。
 暗号のような備品台帳、きれいに綴じられていない源泉徴収票、袋に無造作に入れられた一年分の納品書、さびたホッチキスの針、かぴかぴになった養生テー プ、変色したインク(捨てました)。私には「事務は残業はできないのよ!」と言っていたわりに多数つけられていた超過勤務表。明らかに通勤距離の認定が間 違っている通勤関係書類(今年は大阪府の調査が入りますが何か)。他多数。
 異動のあるオンリーワンの仕事だからこそ誰もがわかるように整理しとかなきゃいけないんじゃないの?自分の家じゃないだろう。50半ばにもなって本当に馬鹿だと思う。
 この2週間でもりもり残業した。夏休みまでにすべてを無に帰す。人事評価期待しているよ管理職。来年のボーナスは増額に決まっている。絶対だ。
(2014.4.12 Sat.)

 

スーパーマンと凡人

 小さい時はスーパーマンになれると思ってた。でも憧れていたものにはなれなかった。
 私は凡人になった。
 かたちあるものを作ったり、何かを突き詰めたりするのが好きだから、そういうことを仕事にしたかったけれど、今の仕事は何も生み出さないし大きな結果を 生むこともない。維持して管理して流れを作る。そして維持する。その繰り返し。遠い目で見れば人材を育成していることになるんだろうけれど、一年経った今 も私はその功績に興味を持てない。
 教育学に一切関心がないことにそれは起因するんだと思う。教員免許なんて持ってないし取る気にもならない。私生活、興味、憧れ、すべてから切り離されているからこそ私は私を維持できる。
 凡人は凡人として平和に生きるのだ。私はスーパー凡人として趣味に生きることを決めた。
 名誉も地位も権力も要らない。喰うに困らない小銭と退屈をしない遊び。それさえあれば十分だ。
(2014.4.25 Midnight / in my room)

 

生きていくには依存を要する。

 自分を構成する要素は何か考える癖がある。何に依存をしていて、何を抜いたらもう生きていけないかを考えてしまう。これは他人を見る時も同様で、「この人から何を抜いたら抜け殻になってしまうのか」をぼんやりと思う。抜いてしまいたい時もあれば興味がない時もある。
 元から抜け殻の人には何を注ごうか考える。蝉の抜け殻が踊っているような人を見るのは大層な不快だ。かつて自分がそうだった時の名残かもしれないし、もしかすると今も抜け殻なのかもしれない。同族嫌悪とはよくできた言葉だ。

 昨晩は生きていくのに必要な要素を何個か失ってしまった友人と飲んだ。生命にかかわるようなものではないけれど、彼が持っていた、安定した空気を作る要素がごっそりと落ちてしまっていた。
 重要なねじを失くしてしまった彼は非常に頼りなく見えた。彼を今形作っているものは間違いなく空虚。

 中身の腐った巨木は、倒れてしまっても誰も助けてはくれまい。

(2014.05.03 Sat. / in my room / i’m hungry.)

 

明日世界が終わるなら。

 経歴的にはまじめでもまともでも、気が合う人が真面目ともまともとも限らない。職場の人は私がモッシュピットで笑顔で跳ねていることも、ライブで頸椎が曲がるほど頭を振っていることも知らない。
 深夜。アメリカ村のすえた匂い。東通商店街は酒の匂い。ひっかけ橋の客引き。心斎橋筋商店街のホームレス。捨てられた売れ残りの服。残飯にたかるハエ。よくわからない物売り。それを買う闇。そういうのを死ぬほど見ているのを、あの人たちは知らない。
 朝は5時30分に起きましょう。旦那様を笑顔で送り出しましょう。お弁当は毎日作ります。玄関には花を。床にはちりひとつありません。ワイシャツにはアイロンを。お風呂は適温に。ご飯を食べておやすみなさい。
 息を吸うようにライブハウスに通うのが生活だ。レイトショーで映画を見て深夜のカフェでお茶をするのが好きだ。そういうのをすべてはく奪されるなら私は一生独身でいい。
 明日の保証なんてどこにもないけれど人は安定を求める。安定を手に入れてもそれはいつ終わるかわからない。将来はどこにもない。万全には万全を。宣戦には白旗を。そうして世界は終わっていく。
 「明日世界が終わる。」もしそれが真実なら人は何を求めるだろう。
(2014.7.19 sat.)

 

He had gone last heaven.

 職場でお世話になった人が急逝した。二学期明けから体調を悪くして、聴けば末期の肝臓がんだったそうである。癌で自覚症状が出たらほぼ末期に近いのは身内の関係で知っていたけれど、病気が発覚して2か月足らずで死んでしまうのは余りにも無念だっただろうと思う。彼は病が発覚する間際まで元気に働い ていて、病が発覚してからも人への配慮を忘れなかった。私が「いい死に方や」と言うと、同僚は「早すぎませんか」と悲壮な声で言った。
 私の中で人生は短い長いじゃなくて、濃い薄いで決まると思っている。彼は66年で生きている者としての経歴を終えたけれど、多分人より何倍も何倍も濃度の高い人生を送ってきたに違いない。
 だらだらと無意味に生きるのであれば、私は濃く短い人生を選ぶ。

 お通夜の帰り道、職場の方への挨拶もそこそこに、一人で帰っていると涙が溢れて止まらなくなった。死者のために人前で泣くのは趣味じゃない。人通りの少 ない道を選んでゆっくり歩いて帰った。特段彼と仲が良かったわけじゃない。ただ話すと安心した。こういう人と出会えたのは良かったと思うし、彼が来る日は 仕事場に行くのも楽しかった。

 彼は人よりもすばらしい人生を送ったから人よりも早くお迎えが来ただけだ。そう思っても、泣いても泣いても涙は枯れぬ。泣いても泣いても彼は生き返らないというのに。

 想い出ばかりに浸るのは生者のエゴだ。今日は泣きはらして明日は笑って出勤しよう。そして私は死ぬまで彼を忘れないで生きる。それが私の弔いだ。

 最期にさようならができてよかった。
 お焼香をした時に見た安らかな死に顔を、私は一生忘れない。

(2014.11.13 Thu.)