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深く沈める。

覚書が事実となる現実に反抗してみるブログです。

ロシアン・マーダー(承前)

 僕は、今日、人を殺そうと思います。昨日、奇しくも13日の金曜日、インターネットの掲示板で高らかに宣言された文を見たのです。人を一人殺してその証拠を送れば、それに見合った賞金を差し上げますというのです。

 僕は少なからず「殺人」に興味をもっていました。肉を食べたり、魚を食べたりしているのに、どうして人を食べては殺してはいけないのでしょうか。同じ生物のたんぱく質を摂ると脳がスポンジ状になると言われました。それが禁忌の要ではないようでした。だったら、なぜ殺人は禁忌となるのでしょうか。

 人は協調して生きる者だといいます。協調して、人を全て仲間と見ることによって、人は人を害さず、殺さず、とても仲良く生きて行くのだと言います。果たして、それが真であるか偽であるかは、考えるよりまわりを見た方が賢明ではないでしょうか。

 僕は一般的な人間の協調による和平は偽であるとみなした上で、人を殺そうと思いました。考えたあとは実行するだけです。僕は母親を殺そうと思います。母と言う存在は、生きている者に等しく全能の神だからです。

 話は変わってしまいますが、僕はカグツチを赦すことができません。カグツチは生まれることによって母の女陰を焼き母を殺しましたが、母であるイザナミはその体から5体の神を作りだしました。つまり、カグツチは殺人者であり父でもあったのです。一人を殺して5人を生み出すことは、僕の正義に反します。

 一人を殺せば一人も生んではならないのです。一人を殺したらゼロにしなくてはいけないのです。僕はインターネットの書き込みを見て、人を殺して一人で生きて行くことを思いつきました。

 これは僕の正義と道理に反しません。人が作りし倫理は人が作りし道理によって破壊されるのです。それが生きて行くためならば、倫理は容易に異端者と呼ばれる人間たちの道理に負けるでしょう。

 一般的な生存論は全てに通じることはないのです。

 

 さぁ、この写真を公開した瞬間から、世界は個と個の戦争が始まります。

 どうか、生きるための殺人を犯す最下層の人間を憐れむことなく救ってください。

 

 正義の味方、おまわりさんへ。